2012年8月31日金曜日

活動報告(8月・資源と国際政治)


 こんにちは、<資源と国際政治>分科会参加者の武市(法学部3年)です。8月の分科会としての活動について報告いたします。

 7月はサブトピックとして掲げた3つのテーマ「レアアース」「第三国における資源開発」「東シナ海」について知識のインプットを中心とする勉強会を行いました。
今月は全体ミーティングにてOBOGの方々から多くの有益なご指摘を頂きました。中でも、分科会全体の方向性、何を目指して議論するのかという点についてはっきりしておらず何をやっているのか伝わりにくいという点を改善すべく、それぞれについてさらに理解を深めつつ、これらのトピックを話すことで何を得たいかについて話し合いました。

 そもそも<資源と国際政治>という分科会名から想像がつくように、この分科会で扱おうとしている資源に関連するトピックというのは国同士の話になりがちです。しかし、例えば国際法的な観点から話を整理し議論する、といったことは学者によってなされていることであり、同じやり方の議論を京論壇で行うことにどれほどの意義が見出せるでしょうか。
 そこで京論壇として価値のある議論とは、と考えたときに、「個人」の視点から話をすることだ、という結論に落ち着きました。基礎的な知識や現状についての理解・認識を共有した上で、「国」としてではなく、「一個人」としてそれぞれの率直な感想や価値観を反映した意見をぶつけてみるとおもしろいのではないか。また、それは単に互いに予想しなかった興味深い議論になるだけではなく、国同士として抱える問題の解決に向けて、またWin-Winの関係を築いていくにあたって、有益な示唆となる可能性もあるかもしれないと思っています。良い関係を築くのは外交の舞台だけではない、むしろ民間レベル、個人レベルで積み重ねていくものが大きな役割を果たし得る。特に日本と中国はそのような関係にあるのではないかと思います。
 というわけでこの分科会は、「通常国同士の国際問題として語られるものを個人視点で切り出してみる、そこから問題解決に向けて得られる示唆を探る」、という方向で議論しようということになりました。
本番セッションまで2週間ほどとなってまいりましたが、それぞれ自分の思考を整理しつつ、できる限り知識面も増やしながら準備していきたいと思います。

 ちなみに、周知の通り尖閣諸島をめぐる動きが活発化した結果、現在日中関係があまり良い状態にあるとは言えません。尖閣諸島に関しては分科会のサブトピックのひとつである「東シナ海」でも触れ得る話ですが、北京大側の参加者が中国政府の動きや国内の反日運動の高まりなどをどう見ているのか、また表出する摩擦の多い東アジア諸国間関係についての意見なども聞いてみたいと思っています。
とりあえずは渡航・滞在に支障が出ないよう、情勢の安定を願いたいところです。

以上をもって<資源と国際政治>分科会8月の活動報告とさせていただきます。

2012年8月27日月曜日

全体ミーティング


 こんにちは、スタッフのです。
今月19日に、第2回 京論壇全体ミーティングが行われました。全体ミーティングとは京論壇の現役メンバーが今年度の京論壇の活動全体、そして各分科会の議論準備について進捗の報告を行い、OBOGの方から意見及び経験談などを伺インタラクティブに交流する場であります。お忙しいところ参加して下さった協賛企業、OBOGの方々から、今後の本番セッションへ向けた準備に役立つフィードバックをたくさん頂きました
省庁や各種業界の最前線で活躍されている方の多い京論壇OBOGの方々は、大変お忙しい中でも京論壇の現役生の活動を手厚くサポートしてくださいます。

 当日は前半で全体そして各分科会の報告を行い、後半で社会発信の企画案を紹介する2
部構成となっておりました。まず幸松代表がスピーチを行い、今年度における「議論による超克」といった理念を強調し、現役メンバーにそれぞれが京論壇に入った理由を再確認させ本番に向けて明確な目標を念頭に置くよう促しました。
 この理念には、北京大生との議論、そして東大同士での議論を通じ、自分が無意識のうちに囚われている価値観や、行動パターンを意識化し、乗り越えていきたいという私たちの思いが込められています。

 その後、アラムナイとの交流を最大化するために少人数のブース形式で分科会報告を行いました。良い議論のために欠かせない、分科会が議論に到達点として設定している目標に適したサブトピックや、議論を支えるフレームワークまたはフィールドワークの案などに関する不安や懸念点をアラムナイにぶつけ、それに対する多くの建設的なフィードバックを頂きました。たとえば、移民分科会では定住中国人のコミュニティの調査を企画していることに対して、アラムナイ関連組織の紹介を提案して下さいました。


 後半の社会発信企画に関する報告は、慣例として分科会報告が中心だった全体ミーティングでの新項目であり、今年度は例年より議論成果の社会発信に力を入れたいという現役メンバーの姿勢が窺えます。しかし、複数の企画案を紹介した後、真っ先にコメントしてくださったアラムナイに京論壇の価値且つ核心であるのは議論であり、今の時点では議論のための準備が最優先課題であることを忘れてはいけないと諭されました。また、現役メンバーがやりたいことに自由にチャレンジしていいとコメントしたアラムナイもいらっしゃいました。多様な意見と指摘を受け、今後更なる企画にとってとても有意義な交流ができました。


 本番まであと1ヶ月を切った現在、全体ミーティングで得られたフィードバックを活かし、より良い議論ができるように最終段階の情報収集やフレームワークの修正に集中したいと思っております。

2012年8月16日木曜日

上半期の活動紹介(英語ディベート)


 京論壇では各分科会ごとの勉強会の他に本番セッションに備えてさまざまな試みを行なっています。その中の一つに北京大生相手に互角に議論できる英語力を培うための、即興英語ディベート大会があります。
今回は企画をしてくれたスタッフの清水がその内容を紹介してくれます。

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 こんにちは、法学部3年の清水と申します。京論壇ではスタッフを務めています。今回は、自分と、同じくスタッフの高村が中心となって定期的に開催している即興英語ディベート企画について、ご報告したいと思います。
 最初にディベートを開催したのは、京論壇の立ち上げ合宿です。そこでは目的として以下の二つが掲げられました。
すなわち、
①京論壇の本番セッションにおいては英語が必須であるので、その練習を行うこと
②ディベートを即興で行うことにより、本番セッションの議論に近い形式をゲームとして楽しむこと
です。京論壇スタッフに私も含めて4人もディベート経験者がいたことも開催の契機になりました。
 さて合宿後、定期的な即興英語ディベートを企画することになったのは、「上記①②の目的を、継続的な練習により担保すること」という目標が私達の中にあったからです。特に英語力に関しては、合宿で一回きりのディベートをしたからといって改善されるわけではありません。そこで、定期的に英語力と思考力を伸ばす機会を持とうと、今回の企画に至っています。頻度は週に一回です。週ごとに本郷と駒場でキャンパスを変え、できるだけ多くの人が参加できるようにしています。
 
 私達が行っているディベートの形式について説明したいと思います。一般的な即興英語ディベートは、
「議題発表→準備20分→肯定スピーチ7分→否定スピーチ7分→肯定スピーチ7分…」
のように進んでいきますが、京論壇のメンバーの多くはこの形式に慣れていないため、上記形式を崩して
「議題発表→準備10分→スピーチ3分ずつ→質問タイム2分ずつ→スピーチ2分ずつ→スピーチ2分ずつ」
という、片方のサイドが計7分だけ話すような方法を採用しています。
 過去の議題は
"Summer is better than winter. "
"This house would welcome immigrants."
" It is better to get hand-made presents from your boyfriend or girlfriend than expensive bland-made ones. "
"The internet does more harm than good for children. "
などです。「恋人からのプレゼントは手作りとブランド物のどっちがいい?」など、くだけた議題も楽しいです。

 現在は一時お休みしていますが、余裕があれば再び休暇中に開催する予定です。本番セッションのための準備として役立っていれば、とても嬉しいと思っています。

2012年8月13日月曜日

活動報告(8月・幸福と発展)


初めまして、<幸福と発展>分科会参加者の刀禰亮哉と申します。
この度は、前回の勉強会の内容、及び私が本番セッションで議論したいことについて書かせて頂きます。

 前回の勉強会では、スタッフの光島さんが幸福の指標化についてのプレゼンを行って下さりました。
 幸福の指標化の話をする際には、ブータン王国で実用されている指標であるGNH (Gross National Happiness国民総幸福量) の話が中心となるのは必然でしょう。
GNHは、持続可能で公正な社会経済開発、環境保護、文化の保護促進、良い統治という4つの柱を基とし、9の分野についての33のグループ化された指標と124の変数からなる指標です。例えば国民総生産を数値化、指標化するのは自然に見えても、幸福の数値化、ということについては違和感を覚えられる方も多いはずです。それぞれの分野について個別に調査するのでなく、幸福度という一つのまとまりとして扱うことに意味はあるのか、という疑問もあります。つまり、GNHの議論において肝要なのは、その指標としての適切性である、といえます。また、日本のような先進国で同様の指標を導入することができるのか、というのは、特に我々京論壇のメンバーにとっては、大きな問題です。
勉強会ではプレゼンの後、上のような論点についてディスカッションを行いました。この勉強会の内容は、今後も役立つものであったと思います。

 本番セッションでは、自分としては、「幸福とは何か?」という問いについて考え、議論を行いたいと考えています。勿論のこと、これは非常に抽象的な問題ですが、幸福と発展分科会における各トピックという「具体」の積み重ねは、この根源的な問いに対する一つのアプローチであって、どこかで全てのトピックを俯瞰しなければ、それぞれのトピックは全体としての纏まりを欠くものとなってしまい、我々は何を議論したかったのかを見失ってしまう、と考えます。
 抽象的な議論から、果たして結論が出るのか?という疑問は、常に存在するはずです。特に「幸福」というものについては主観性を排除出来ないため、この疑問は全くもって正当であるといえます。これに対して回答するならば、自分は、「結論が出るか出ないか、はこの際どちらでも構わない」と答えるでしょう。私は結論(結果)至上主義のようなものがあまり好きではありません。そもそも、結論を出すことが議論の目的なのでしょうか。無論、政策などといった実践的な事柄に対しては、結論を出すのが最重要となるケースが多いでしょう。しかし、「幸福」について、というような抽象的な事柄に対する議論に対して結論を出すことを目的に据えるのは、根本的な誤謬であるといえるのです。これには二つの理由がありますが、一つは、実際問題として、そう簡単に結論など出る訳が無い、というのがあります。例えば「幸福とは何か」という問題は、有史以前から何らかの形で常に考えられてきた問題であり、そのような問題に対して安易に「結論が出た」などと言っても、先人達は臍で茶を沸かすでしょう。自分の出した結論は別に普遍的なものではなく、一つの見方にすぎないということは理解している、と言うのならば、他の見方も検討し、本当に自分のできる議論をし尽くしたのか、再度振り返ってみるべきです。抽象的で難しい問題に対して、特に我々学生のような未熟な存在が、限られた期間内で、結論を出す為の議論を行う、というのは、やや傲慢な所為に思えてなりません。
 もう一つの理由は、結論を目的に据えることによって、議論が形式に縛られてしまう可能性が高まるからです。結論が目的にあると、なんとしても結論に辿り着かなければ、という強迫観念のようなものが集団に浸透し、本来主観的要素のある問題であるにも関わらず、客観性が欠如しているなどという理由で意見が排除されるなどという矛盾が発生しがちです。議論の一般的な形式、フォーマットに基づき、「生産的でない」議論を排除しようとするのは、「生産的」な議論が「結論に近づく」議論であることを踏まえると、結論=目的という暗黙の了解に基づく行動であるといえ、その暗黙の了解それ自体が誤りであるという可能性に無自覚な行動なのです。
 以上の理由から、私は、あらゆる議論について、結論を目的とするのには反対です。それでは、結論を出すことが目的でない議論について、一体何が議論の目的なのでしょうか。修辞的であるという批判を恐れずに言えば、「議論そのもの」が目的であるというのが私の考えです。自己目的化、というと逃避的に聞こえるかもしれませんが、これが健全であると自分は考えます。我々の場合、各トピックについての議論、そしてそれらを纏め上げる「幸福とは何か」という議論を通じて得られたもの、(ここからは京論壇的な言い方になりますが)つまり「気付き」或いは「再認識」、それによって得られる新たな目的への展望、そしてそれを社会発信という形で共有していくという全ての過程に意味が、成果が、あるのです。結論がある必要はなく、「全て」に意味があるのです。

拙く長い文章でしたが、ここまで読んで下さったことに感謝致します。
以上をもって今回の更新を終わらせて頂きます。
    
刀禰 亮哉