2012年9月29日土曜日

北京セッションを終えて(移民)


こんにちは、京論壇2012移民分科会参加者の伊藤です。

916日から23日まで北京セッションが行われ、101日から東京セッションが始まります。
今回は北京セッションでの移民分科会の様子を報告させていただきます。


①議論の内容
移民というものを考える時、その考え方は多様にわたります。
私たちは、移民の役割もしくは価値というものを政治・経済・文化の3種類に分け議論を行うことにしました。
北京セッションにおいては、3つのうちの1つ、政治にフォーカスして議論を行いました。
政治の課題を扱う際には、移民に関する3つの事例から議論をスタートさせました。

3つの事例は、
1.香港 and 中国
生まれてくる子どもが香港の市民権(citizenship)を得るために、香港の病院に中国本土から出産しにくる人々のお話
2.フィリピン人 in 日本
他人のパスポートを使って日本に入国したフィリピン人夫婦が日本で子どもを産んだ後、強制退去行政処分の取り消し、特別在留許可を求めたお話。
3.中国内移民
中国国内には、農業戸籍・被農業戸籍の2種類と各都市ごとの戸籍が存在しており、それによって権利が異なっている。そのため、生まれた土地を離れ、都市に出てきた人々ともともと都市に住んでいる人たちの間で持つ権利が異なっている。
3つの事例を見たとき、最初の2つは、各国がどのようにしてMigration Controlを行うべきかという問題であり、3つめは、受け入れた移民の権利に関する問題であると言えます。

香港の事例を見たとき問題が生じるのは、市民権付与において、中国では基本的に血統主義が採用されているのにも関わらず、香港においては出生地主義が採用されているからです。この違いは些細なことのように思われますが、誰がある国の持つ社会資源(Social Resources)を享受すべきなのかという問題と密接に関わります。
私たちは、社会参加が、市民権の付与に関する必要十分条件であると考え、では、どんな条件を満たせば社会参加をしていると言えるのか議論を行いました。

2つ目のフィリピン人のケースは、日本国内でもひろく報道が行われ、注目を集めました。
十数年にわたって、地域に溶け込み生活をしてきたフィリピン夫妻、そして日本で生まれ日本語しか話すことの出来ない彼らの娘、ノリコに特別在留措置を与えるべきだという声も日本人の間から広く聞かれました。
ここでは、主に私たち自身の価値観に主眼をおいて議論をスタートさせました。
最終的に、日本政府はノリコにのみ特別在留措置を与え、彼女の両親は、強制退去処分となりましたが、全員が残されるべきだったのか、全員が強制退去となるべきだったのか、それとも日本政府の決断は正しかったのか…これに関する私たちの考えとその選択する際に出された考慮すべき事案(子どもの人権、社会安定、法の遵守など)を分析しました。
そして議論は、その分析から出された北京大生と東大生の意見の差の原因はどこにあるのかという点に集中して行われました。

3つ目のケースは、移民ともともとすんでいる人の間に存在する権利の差から、人は相続される権利によって、どこまで不平等な扱いを受けても良いのかという問題について考えました。私たちは、多くの場合、国内において不平等が存在することを許しませんが、最貧国などの他国との比較においては不平等を受入がちです。中国における戸籍制度は、国内における不平等の存在という意味でこの問題について考える良いきっかけとなりました。

ここでは、各議論においてどのような意見の相違や結論が得られたかについては明記しません。108日に駒場で行われるファイナルプレゼンテーションでは、そのあたりも含めて発表が行われるので是非見に来てください。

②北京大生の様子
北京大学の学部生の店員は東大とあまり変わらず3000人程度なそうです。
だとすると、日本の10倍ほどの人口を抱える中国においては、東大の10倍、日本と中国の人口ピラミッドを考えればそれよりも遙かに高い倍率の入試競争を勝ち抜けてきたのが北京大生であるということができそうです。
また、京論壇には、各コースにおけるトップクラスの学生が多数参加していると聞いていました。
といったような前情報から、どんな思考のプロセスや知識を見せてくれるのか、北京セッションの始まる前から楽しみにしていました。
実際に議論をしてみた印象としては、自由な発想を持って自由に考える傾向が強いように思いました。これには、参加者自体が、アメリカなどへの留学経験を持つ人が多いということもあると思いますが、単純に私たち日本人が持つ中国へのイメージがかなり時代遅れな面もあるのでしょう。
領土問題を中心とした国際問題に関しては、北京側も東京側も自分たちの持っている事実と思われることから判断していることは変わらないと感じました。元の部分にすれ違いが生まれている点に関しては、相手を否定するのではなく、自分が間違った情報をつかまされている可能性を常に考えながら、一つ一つ確認をしていかなければなりません。その意味では、京論壇のメンバーとはその前提を共有した上で話し合うことが出来ると感じ、またそれが最高の成果でもあると思いました。

③東京セッションの展望
ある意味、理想的な状況を想定して、法と権利のバランスを中心に議論してきた北京セッションに比べ、東京セッションでは、移民の経済的役割や社会への統合といった、よりプラクティカルな議論が中心となります。議論をより実りあるものにするためにも、お互い良く準備をしてセッションに臨めたらと思っています。
北京での議論を通じて感じた悩みは、お互いにどこまで本音を言っているのか最初は分からないことです。自分で意見をのべるとき、それが本心から出た言葉であるとあなたは確信することができるでしょうか?この壁を破る一つの方法として、自分が相手の考えの理由として一つの仮説を投げることです。「あなたはこういう理由でこう思っているのではないのか?」こう言われたとき、人は自分自身を正しく理解してもらいたいという欲求から、強い反論や説明を行う傾向にあるように思います。東京セッションでは、こういった手法も積極的に使っていきたいと考えています。

長くなりましたが、北京セッションで感じたことを簡単に説明させて頂きました。
それでは、ファイナルプレゼンテーションでお会いしましょう。

伊藤

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